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  2. 神道 大加教会とは

奉斉主神 天地之大神

当法人では「天地之大神」を奉斉主神とし、縁ある人々にまことの信仰を広め、信者やその子々孫々が繁栄する為と、社会の発展と福祉に寄与する事を目的としています。
「天地之大神」とは、天と地 八百万の神々の総称であり、天照皇大神をはじめとし森羅万象に働く、目には見えない大きな力のことです。

当法人では「天地之大神」を奉斉主神とし、縁ある人々にまことの信仰を広め、信者やその子子孫孫が繁栄する為と、社会の発展と福祉に寄与する事を目的としています。
「天地之大神」とは、天と地 八百万の神々の総称であり、天照皇大神をはじめとし森羅万象に働く、目には見えない大きな力のことです。

成り立ち・歴史

明治33年 辻田祥壽氏(初代 管長)が開教、明治40年に創設した「神道御徳社」の被包括団体として活動していた当法人は、平成23年12月3日 細田文保(教会長)により「宗教法人神道大加教会本部」として創設されました。

前身である「神道御徳社」は、大正時代の初め、当時日本政府が神道に対する国家 統制を強化するため、御嶽教(他12派)のみを国家公認の神道十三派とし、その他の教派を非公認とする政策を打ち出しました。そのために、初代 管長は教師五千人とともに御嶽教に入教し、名称も「御嶽教天地大教会」と変更し、太平洋戦争の終結まで御嶽教の布教活動を行いました。
戦後、創設者の辻田祥壽氏の子、辻田徹氏(徹管長)は、父亡き後も御嶽教の布教活動を行なってきましたが、同教派を離脱。そして「真の宗教・まことの信仰」の理念を探求するため「神道御徳社」を復活させ、二代目管長として布教活動を再開しました。

「神道大加教会本部」の創設者、教会長の母 加代(教母)は、教会長が結核性カリエスに罹り、医師からも見放されてしまう状況の中、「御嶽教・白瀧教会」(奈良市疋田町)の神野まさゑ教会長と巡り合い、献身的な加持祈祷(かじきとう)を施行された結果、教会長の結核性カリエスが完治。
その事をきっかけに教母は「御嶽教・白瀧教会」へ入信、教師として修行を行なっていました。

辻田徹(徹管長 )との出逢い・・・
教母は、徹管長が「神道御徳社」を復活させた頃に出会い、「真の宗教・まことの信仰とは何か」との教義を受け、またその神髄に迫るために日々精進を重ね、その後、教母は「御嶽教・白瀧教会」在籍中に「神道御徳社」へも入教し、教師となりました。
そして昭和40年に宗教法人となった「神道御徳社」の名古屋支部の開設(名古屋市緑区 篠の風・中野様邸宅をお借りする)に伴い、昭和45年「御嶽教・白瀧教会」を離脱。徹管長より、「神道御徳社」の名古屋支部長へ任命されました。

昭和52年からは、責任役員でもある荒川雪男様・佳代子様ご夫妻のご厚意により、 現在の名古屋市緑区六田に教会を建築していただきお借りするという形で支部を移す、
昭和53年には現教会長も「神道御徳社」へ入教し、平成19年12月まで、その道統を説く教師として修行を行なってまいりました。
そして平成20年1月1日、荒川雪男様・佳代子様ご夫妻より、教会の土地及び建物の御寄進いただき、神道御徳社・徹管長の教義・教母の加持祈祷の継承・神官の教化育成および社会福祉寄与・地域貢献のため、宗教団体として「神道御徳社・大加教会」を設立。布教活動の永続化のため宗教法人の設立を目指しました。
法人認証のため「神道御徳社」から独立し、名称を「神道大加教会本部」と改め、平成27年12月3日、「宗教法人神道大加教会本部」を設立いたしました。
当法人は「神道御徳社」徹管長の教えを受け継ぎ、これを広く流布するとともに、教母が身に付けた、加持祈祷(かじきとう)の業を後世へと継承してまいります。
令和2年4月、教母が名古屋市緑区の地に数奇なご縁をいただき、お蔭様で教会発足より満50年を迎えました。
心のオアシス・教えの道場として、皆さまに幸せな人生を歩んでいただくために、永続して布教活動を行なってまいります。

 

・先代管長 辻田徹氏 (2000年帰幽)
・細田加代 (2019年帰幽)