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滝行(※要予約)

毎年御嶽山夏山土用行では、第一日目にお滝巡りを行います。
3合目にありますが、その昔、普寛行者が御嶽山剣ケ峰頂上3,067mに登拝する為に精進潔斎をし、祠ほこらに籠もり100日間の行ぎょうを行った新滝と、清滝の2つの行場を巡ります。
昨年その新滝で、副教会長が本厄の年を迎えたので「滝に打たれたい」との要望があり、若先生を含め、3名が滝行を行いました。
まず3名は白衣に着替え、草履に履き替え、全員滝の前で二拝二拍手をします。次に、導師が禊の祓いを唱え、九字(九種類の印により願掛けをする手法)を切った後、一人づつ滝に入ります。滝に打たれる前には、心臓から一番遠い、右足、左足、右腕、左腕の順で滝の水で清めます。(心臓発作を起こさない為でもある)、そして滝を背にし、滝の水が首に当たるようにして打たれます。
(打たれる時間は約3分) 終われば御滝に一礼します。
全国の寺社仏閣なども、人口の滝で滝行を行っている所もあります。但し、新滝は落差が30mの自然の滝であり、滝の水の中に、石や落木が一緒に落ちてくる危険性もあります。命の保証はありません。自己責任です。しかし、私は先達ですので、そういう事が起きないようにと、1カ月前から安全祈願を行い続け、当日も、3名が滝に打たれている前で、一緒に六根清浄の祓い(祝詞)を唱え続け、祈願と共に見守りました。
特に昨年の梅雨は、雨量が多く、王滝村では一晩で800ミリもの大雨が降ったようで、水量は平年の3倍でした。
ここで、なぜ滝行を行うのか?滝行の意義を説明いたします。

① 水は身体を清める。
水は、色々な物を綺麗にする作用があります。
汚いものも、洗い流してくれます。
神社への参拝の際でも、必ず本殿の手前の、手水舎で手を洗い口を漱ぎます。これは、生まれた時の真っ白な純粋の心に変える為です。厄も払われます。人は成長と共に色々な知識が生まれ、物に対する執着も生まれます。その囚われの心から離れた時に、初めて心は解放され、清らかになります。

② 心を整える。
滝の近くに行けば大音響です。他の人との会話もままなりません。そんなうるさい所では、心も乱れてしまうと思いの外、滝の水の強さや、冷たさが容赦なく、どんどん降りかかるので水に耐えようとする気持ちが優先し、音は全く気にならなくなります。
静かな所の方が、精神が集中できると思いの外、色々な雑念が湧いて来て、却って迷う事があります。大音響の中でも、無我の境地に入れます。
大きな音の中、激しい水しぶきの中でも、滝を打たれ、身を清めようとする目的がしっかりしていれば心が集中します。雑念は入らず、音までも消えてしまいます。
よく環境が悪いから、勉強出来ないと、その所為にしている子供がいますが、大きな間違いです。そんな子供には是非、滝行をさせてあげたいものです。

③ 視点を変えさせて頂く。
滝に入らせていただく事は、ただひたすらに全身で滝を受け止める事しかできません、それと同様で、人生には自分に取って、嬉しい事だけでなく、嫌な事、思ってもみない事が色々と起こります。
人生の苦難・困難を滝と仮定すれば、それらをまず、受け止める事が滝行そのものです。
以前、御嶽山の頂上へ到達した際には、辛く長い道のりを登り続けた先に、素晴らしい達成感を得られました。
辛い事や苦しみ・不測の事態を切磋琢磨して乗り越えたその先に、本当の幸福感・達成感というものは得られるものです。
現代人は何か不都合な事があると、ストレスが溜まると言って、心身ともに病人になる人がいますが、何も無く平穏な日々を過ごせば、それが却って心の負担になる事もあります。※不幸しらずの不幸者のとおり
自ら生死を賭けた過酷な環境に身を投じる事によって、苦しみの中に喜びを見出す鍛錬・どんな状況からでも視点を変える訓練をする事ができるようになります。

④ 免疫力が向上する。
人は、生命の危機に陥ると、自然に身体が身を守ろうとするからです。気生命の危機に陥る事で、ドーパミンが体内で分泌され、免疫細胞を活性化させるので自ずと免疫力が増します。
また、滝周辺では大量の水飛沫によって沢山のマイナスイオンが発生をしています。
マイナスイオンは活性酸素を制御し、老化速度を緩める働きがあります
それらの相乗効果によって更に免疫力がアップします。

⑤ 生きる活力を得られる。
滝の水の勢いと冷たさに圧倒され、精神を集中し、身体に氣合いを入れないと、滝の中では立ってはいらませんし、恐怖にも打ち勝つ事ができません。そこで、臍下丹田(へその下)に氣と力を入れ精神を集中すれば、全身に氣と力が漲ります。
そのことで、心身をコントロールする術を身に付ける事ができ、いかなる状態に置かれようとも屈する事の無い、内から湧き上がる活力を得る事ができます。

⑥ 経験値が上がる。
滝行を受ける事で、経験した者にしか得られない大きな自信を得る事ができます。とは言っても、滝に打たれたら何かを得られると求めるのは邪道で、達磨大師が「無功徳」の教えを説いておられますように、「良い事をすれば、その見返りを頂ける」と思うのは浅はかです。
神様に頂いたこの命がある事自体、すでに奇跡・恩恵を頂いているのです。
この滝行を受ける事によって、自然の偉大さを知り、改めて人間の小ささも分かり、神様という目には見えない大きな力に生かされ生きている事を知り、任せきる心を持つ事が如何に大切であるかを体得する事ができるのです。
口では説明する事はできません・言い尽くせない事ばかりですが、確実に言える事は一つだけで、心身の経験値が上がるという事です。

以上が滝行の意義です。
さて、御嶽山の新滝での滝行は、先にも述べましたように、かなりのリスクがあります。
滝行を努める最中は、呼吸もままならず、滝の猛烈な爆風で吹き飛ばされそうになり、死との恐怖にも直面し、命の危険を感じるのです。
しかし、この滝行を斎行出来たなら、これから先の人生、我が身に、どんな困難が起こって来ようとも、必ず乗り越えて行ける!との大きな自信を頂けるのです。
どんな理由(願掛け・厄払いなど)でも構いません、是非一度経験なさって下さい。「何かが必ず変わります!」

滝行は毎年の夏山土用行にて受付を致しておりますので、お気軽にお問合せください。