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鳥居が
ないのは
何故?

●大加教会には鳥居はありません!!何故でしょうか・・・?
大加教会とは「成り立ち・歴史」にて述べさせていただいたように、数奇なご縁にて信者様より、この教会を建立・御寄進をいただき、今現在があるのですが・・・その際に、鳥居を建て築く事が叶わなかったからなのです。
鳥居については、後程詳しく説明をさせていただきますが、大加教会には「加持・祈祷」という、お祓いと祈願の修法があります。
「お加持(かじ) ※体の気(リンパ)の流れを整える手当」「祈祷 ※神様に願いを祈り捧げる為の儀式」を受けて頂く事によって、鳥居を潜るのと同様に、お祓いをさせていただいているのです。


●鳥居は何をする為にあるのでしょうか?
まず鳥居は、女性が足を開いている姿を表しているのです。
本殿までの道のりを「参道」というのも「女性器の産道」と同じ意味であるとも伝えられており、私達人間は、全て母親の産道を通ってこの世に生まれ出ます。
つまり、原点に帰るという大きく・深い意味があるのです。
その原点を忘れてはいけないとの戒めの為に鳥居は存在しており、生まれた頃の穢れなき純粋な心に戻って、爽やかに、清々しく神様の御社の前に詣でる為に鳥居があるのです。


●私たちは「罪穢れ」を犯しながらいきている!!
人は、生きている上に於いて誰しも、大なり小なり「罪穢れ」を犯しなら生きています。この「罪穢れ」とは何でしょうか?
通常私達は、人を殺めたり傷つけたりはしませんが、何気ない言葉や態度によって、人の心を傷つけている事があります。凶器によって傷つけるより、もっと深い傷を負わせているかも知れません。
そして私達は、生きているものの命(色々な動物・植物の命)を取り、それを食して生きております。これも「罪」の一つです。
しかし、私達が生きて行く為にはやむを得ない事であり、だからこそ、食事を頂く際には、「行ける物の御霊に感謝して、頂きます」と、唱えて合掌して頂かねばなりません。
また、「穢れ」とは、物を見たり聞いたり、触れたりした時に、自身の心が「嫌・不快」と感じてしまい、それが何時までも心のシコリとなって残る事・囚われの心を持つ事なのです。
「人の死」についても、人はいつか亡くなる定めなのですが、身内が亡くなれば、心が荒み、残された遺族は悲しみに打ちひしがれてしまうもので、今生の別れはとても辛いものです。
しかしながら、いつまでも故人の死を受け入れられずに、執着をしてしまう、その心も「穢れ」のひとつなのです。
私たちは、考えてみると日々の生活の中で、こんなにも多くの「罪穢れ」を犯しながら生きているという事なのです。


●「罪穢れ」を祓っていただく為に鳥居を潜ろう!!
そもそも鳥居とは桧(ひのき)(火の木)で建立されています。火は全てのものを焼き尽くし、焼き清める浄化作用があり、その鳥居を潜れば祓われるという意味があるからなのです。
ですから、知らず知らずのうちに犯している「罪穢れ」や、心が荒んでいる時に鳥居をくぐれば、祓いの行事を受けるのと同じで、「罪穢れ」が祓われる効果があるのです。
鳥居といえども色々で、杉の木・その他の木の鳥居は、朱(赤)色で塗られており、これも火を模しており、鳥居を朱(赤)塗りにする事で、火を潜り、「罪穢れ」を祓い清めていただく意味が込められているからです。


●本当の事を知ろう!!
昔からの言い伝えで、女性が月のもの(月経・生理)がある時や、子供を産んだ後、身内が亡くなった時には、神社にお参りをしてはならないと伝えられてきましたが、大きな間違い(差別)です。
古来、神道に於いては、前述に説明しましたように、「罪穢れ」を大変忌み嫌ったと云う事と、間違った思想によって、死後四十九日の間は魂がその家から離れずに宙に浮いている状態故に、清浄(しょうじょう)な神様を拝むというのは勿体ない(神様を穢してしまう)というように、こじ付けて「神様を拝んではいけない!」「神社に行ってはいけない」と言われて来たのです。
とても悲しい事ですね・・・

神道大加教会本部に於いては、人間とは「天地之大神」という、全宇宙を動かして下さっている、目には見えない大きな力によって、一人の人間として、この世に命をいただき、生かされているのであり、死ねばまた、その大きな力の元に還元され、その力の一部として新たな命を得て生き続けて行く、と説いています。
※色々な神社のホームページを見ても「お参りしてはダメな方」こんな事は一切書かれていません!!
従って、人が亡くなっても決して神参りをしてはダメという事はありません!!
むしろ、心が不安定な時・落ち込んでいる時にこそ、鳥居をくぐり、神様の前に詣で「心を善きに向けられるように」とのお祈りが必要で、亡くなられた故人は神様の一部となられたのです。
だからこそ、今までの感謝と精一杯の冥福を捧げると共に「これからも御力を下さい」と祈る事が何よりも大事なのです。
神様を祀る場所は、みなさんにとっての「心のよりどころ」「心を落ち着かせてたただく場所」「自分自身と向き合う場所」「明日への希望・勇気・元気をいただく場所」でなくてはならないのです。